2021-03-30 第204回国会 参議院 外交防衛委員会 第6号
一番近くの有川中将以下将兵自決の壕の塔は、その現場から三十メートルも離れていません。 本年一月二十二日、沖縄等米軍基地問題議員懇談会では、御遺骨が混入している可能性のある南部の土砂を埋立て用土砂に使用する計画について、厚労省担当者は、防衛省から事前に相談はなく、マスコミ報道で知ったと説明しています。
一番近くの有川中将以下将兵自決の壕の塔は、その現場から三十メートルも離れていません。 本年一月二十二日、沖縄等米軍基地問題議員懇談会では、御遺骨が混入している可能性のある南部の土砂を埋立て用土砂に使用する計画について、厚労省担当者は、防衛省から事前に相談はなく、マスコミ報道で知ったと説明しています。
それで、役所も辞めてぶらぶらしていたときに児玉源太郎に呼ばれて、日清戦争が終わって二十三万人の将兵が中国大陸から戻ってくる、この二十三万人の将兵の検疫をしなければならない、その責任者になってくれないかということを頼まれるんです。 当時、検疫だとか何だとかといううるさいことをやるのは、陸軍の将兵が戻ってくるわけですから、森鴎外だったんですよね。
やがて「敵は幾万ありとても」、「海行かば」が、海軍将兵の悲壮な犠牲を彩るようになった。」などであります。 最後に、次のページも一つ紹介しておきたいと思いますが、「戦争中の重要種目であったニュースや講演を通じて記録されなければならないことは、第一に戦況の一方的押しつけと、必勝の信念、八紘一宇の合言葉などの氾濫である。指導者は国民に対し知らしむべからず、倚らしむべしの態度を取って来た。
日本軍将兵は、総力を挙げて全島の要塞化を図り、戦力を保持するため、全長約十八キロメートルに及ぶと言われる地下ごうを構築しました。しかし、本土からの補給は断たれ、噴出する硫気とむせ返る地熱のごうを拠点とした苦しい戦いを余儀なくされる中で、二万人を超える同胞のとうとい命が失われました。戦後七十年を経た今なお、かの地には一万柱を超える御遺骨が眠り、一刻も早い御帰還を待っておられます。
米国としては、アジア太平洋の軍事拠点をハワイと沖縄だけでなくグアムにも置いた方が、米国や同盟国の安全保障、対テロ防衛、将兵の訓練、展開、休暇、後方支援などのために都合がよい。万が一、沖縄から撤去せざるを得なくなったときに備えるためにも、自国領グアムに訓練基地を建設し、部隊とその家族を駐留させたい。それは、米国が進めている米軍再編、変革計画ともマッチする。
メモリアルデー、戦没将兵追悼記念日があるからだということだと思いますけれども、そうなりますと、下院の審議入りは六月に入ってからになるわけです。 現在、グアムで二十五日までの日程で首席交渉官会合が開かれていますけれども、鶴岡首席交渉官は、TPAの法案が成立しなければ交渉をまとめる必須条件が整わない、その中での交渉進展は難しいというふうに、新聞報道もされていますが、述べています。
それは、中国においては、軍人、将兵六百四十万人、民間人五百四十万人、合計すると一千百八十万人になるわけですけれども、これだけの犠牲者を出したというふうに論文の中で発表されております。 繰り返しますけれども、幅があるんだろうとは思いますけれども、ある種それだけ大きな犠牲者がいたということは推定できるというふうに思っています。
また、先ほど板橋先生からお話もありましたように、恐らくこのISの中にはサダム・フセインの軍隊にいた将兵が関与していると思われるんですけれど、サダム・フセインの軍隊には化学兵器を担当する部隊もおりましたので、将来追い詰められた場合、この部隊が少なくとも簡単な化学兵器をまた造る、使うという可能性は否定できないように思われます。
恐らく、天皇皇后両陛下におかれては、全ての戦没将兵に慰霊されるものと推察をいたします。 総理も、ペリリュー島のことを三月二十二日の防衛大学校の卒業式の訓示でお述べになられております。そのときの思いを後ほど述べていただきたいと思いますが、その訓示を私の方から紹介させていただきたいと思います。 南太平洋に浮かぶパラオ・ペリリュー島。
でも、やはり女性としてというのは、私は女性である前に政治家だとは思うんですけれども、日本の将兵が戦争中に他国の、朝鮮半島の女性を強制連行したというようなことは、大変事実誤認に基づいた不名誉な、国際社会に与えている日本に対する不名誉な見解だと私は思っています。
慰安婦、第二次世界大戦中、戦地で将兵の慰安を目的に売春させられた女性。強制的に連れていかれた者が多かった。従軍慰安婦、日中戦争、太平洋戦争中、戦地で将兵の性的欲求に応ずることに従事した女性。 世界では、慰安婦は、第二次世界大戦中に慰安を目的として売春していた者と言われています。従軍慰安婦というのは日本だけの言葉であります。
そして、アメリカは、七万三千のアメリカ兵、将兵がまだ眠っている。しかし、これまで、それがばらばらで遺骨収集されていた。 日本は、遺骨収集した御遺骨を現地でだびに付して、そして日本に持ち帰るということになっているわけです。アメリカは、必ず遺骨はどなたのものかを明らかにして、遺族に返すことになっているんです。ですから、アメリカは徹底的なDNA鑑定をするんです。
吉田清治さんは、その戦後補償裁判に出てきて、そして、朝鮮人女性を暴力で奴隷狩りのように狩って慰安婦にした、それから挺身隊といっても実態は日本軍将兵の性的奴隷だったということを裁判で証言しているんです。しかし、法務省は、このうその証言に対して一問の反対尋問もなさっていないんですね。私は、法務省のその訴訟の方向は間違っていると思うんですが、法務省の政府参考人にお伺いをいたします。
硫黄島もそうですが、さきの大戦で日米両国の将兵が激戦を繰り広げたこともあって、御遺骨が同じ場所に眠っていることが多く、日米合同で事業を実施した方が効果的だというのが理由の第一であります。 第二に、遺骨収集のためには、アジア太平洋のどこで戦闘が行われたのか、日米両国の持つ戦闘記録を共有していくことが必要であるからであります。
○笠井委員 さっきありましたが、アラスカ州のアイルソン空軍基地のホームページを見ますと、昨年の訓練には、米空軍の現役、予備役、州空軍、陸軍、海軍、日本、オーストラリア、ニュージーランド、韓国から、六十機以上の航空機と二千六百人以上の将兵が参加というふうにあります。このアラスカの訓練がいかに大規模だったかというのがうかがえると思うんです。
この忠魂納骨塔は、明治三十七年の日露戦役以来、国の平和と自由を念じつつ、とうとい命をささげられた歩兵第二十五連隊、それから二百十九連隊、百二十五連隊、その他札幌軍管区内外の将兵の御偉勲を顕彰するために、昭和九年四月に、当時の第二十五連隊長の永見俊徳大佐によって建立されて、以来、終戦に至るまで約四千柱の御遺骨が合祀されております。
この二人の青年というのは、ことしの八月、自費でフィリピンのレイテ島にある日本人将兵の慰霊碑を幾つか訪ねたという記録でございました。 二人の名は、東京大学の経済学部四年の栗栖祐哉君、もう一人は、慶応大学商学部の副島慎太郎君という二人であります。彼らは、島内に散在する慰霊碑を訪ねて、その荒廃していく状況にひどくショックを受けたということであります。 その一つがこの写真です。
一つは、名著とも言われる「失敗の本質」でも取り上げられたインパール作戦、これをひとり強行し、三万人を超える将兵を餓死させたにもかかわらず、責任を回避し続けた牟田口廉也陸軍中将です。もう一つは、真珠湾攻撃の際、在米日本大使館の怠慢で宣戦布告が一時間おくれたことにより、日本人に、だまし討ちをした卑劣な民族との烙印が押されました。
そして、父島にも行ったわけでございますが、言わば非常に悲惨な戦争の現場に赴きまして、硫黄島においては二万人以上の日本将兵が命を失ったわけでございますし、沖縄においては唯一地上戦が展開され、住民の皆さんにも多大な被害があったと。 二度とこういうことを起こしてはならないと、平和の尊さ、つまり政治の場にいる私にはそれに対して大きな責任があるということを痛感したような次第でございます。
○菊田委員 依然として核兵器保有を強調し、そしてまた日本に対しても言及をしているということでございましたし、また、現在、戦略ロケット軍の将兵の手は発射ボタンの上に置かれているというような威嚇も繰り返しているわけでありますので、我が国としては、万全の態勢、そして情報をしっかりと入手し、対応していかなければならないというふうに思っております。